いつだって底辺暮らし

いつも死にたい。けど死ぬ勇気がないから生きている人間の日々。

今日も死にたい

私は口癖のように気分が落ち込むと

死にたい

を言う。

10代は虐められ、20代は諸々の心の病の治療に明け暮れ、社会復帰すればもう40代は目の前だった。

これは人生詰んだなと感じた瞬間である。

一応働けるようにはなったけど、躁鬱などの病とは縁が切れず、一番の夢だった結婚もこれじゃあ難しいだろう。私が相手でも困る。

 

何か趣味を探しつつ、のろのろ生きてはいるが、頭の中は大半が死にたい。

何で!?となるんだろうが、拗らせたのか私はこれが普通である。

因みに衝動はあっても怖くて踏み出せないので、人生は続く。

 

楽しく生きたいものである。

 

数ヶ月前に弓道を再開した。

しかしそこで合わない人がいて打ち解けて頑張りたい、よりもういいや、になってしまった。

人付き合いは今まで沢山やなことがあって、趣味の場でまで神経をすり減らしたくない。

こうも初対面で一定数から不評なのは何かしか理由があるんだろうが、何もしてないよ。何も。悪いことは。

友達が欲しいわけではなかったからやめてしまった。

人生にすぐ躓くのでああ死にたいな、とはよく考える。

 

他にも死にたい理由はある。

数年前に告白して振られた人のことが忘れられなかったり、家族仲が悪かったり、朝起きるのが底抜けに弱かったり色々色々。

 

なんだか死にたい死にたい言いながらこの歳まで来てしまったのである。老後まっしぐら。

 

兎にも角にもお金がないと不自由なのでまた明日から働くわけだが、うちの会社年休少ない。

ああ、死にたい。

 

冷静に見ればそう悪くはないのかもしれないが、それは多分私もわかっている。けどこう考えることで多分逃げ道を作っている。

なので説教は弾き返す。

 

一人で落ち着いてぼけーっとスマホをいじるのが心が落ち着く時間である。

死にたくても何とか生きているからそれでオーライにしてくれないか。

マイナス思考はなかなか抜け切らないから。

 

とりあえず社会復帰はクリアしたので次は毎日メイクして出社を目指したい。

気をぬくとマスクして出社だから。

ああ本当、社会の中に身を置いて生きてるんだなあ。

まあそんな感じで。お手柔らかに。